亡き人と次々出会う春の夢

 



春の夜明け頃 二度寝した。其の時、昔、亡くなくった父母、死んだ友人など

昔、身近な人達でとっくに鬼籍に入った人達が次々と現れて、昔話に花が咲いた。

 

そして不図、目が覚めたら部屋には春の朝陽が差し込んでいた。春眠がもたらした

思わぬプレゼントでした。

            亡き人と次々出会う春の夢

 

平安時代に流行った歌、それを集めたのが梁塵秘抄という流行歌(今様)の

集大成で、その中には、次のような歌がある。

 

仏は常にいませども現(うつつ)ならぬぞあはれなる

人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給う。

 

人の心の中には、死んだ人は、何処へ赴くのか?そんな素朴な疑問に常に

苛まれてきた。それは、今も同じで人類の永遠のテーマでもある。

それを現実的ではない、判らない事を考えても詮無い。これが、世間一般の

常識である。常識は、何時かは崩れる、文明や技術の発展で非常識が常識へと

様変わりすることは、過去の事例を見れば明らかだ。

霊魂や死後の世界観も今の常識が、崩れ去る時代も遠からず来るだろう。

 

前世での人間の所業を厳しく審判する閻魔王の様な世界が現実のものとなる

時代がやってくるかも知れません。

宇宙での時間と地球での時間は同じではない、同様に時の流れも地球と、宇宙では

違う。時を支配する者も、宇宙には居るかも知れない。地球上の常識が通用しない

世界が宇宙にあるかも?

 

 

 

 

 

 

昔、空海が唐から持ち帰った密教では、宇宙の支配者が大日如来で、この支配者の許で

密教が人の真理を極める教えだと、説いて真言宗を立ち上げたのも、あながち、絵空事とも言えない、遠い未来を見据えた教えであったのかも知れない?

すべての常識を疑え、それが人生を切り開く扉かも知れない??!!。

 

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