芥川龍之介の短編小説 捨児

浅草の寺の門前に男児の赤子が捨てられていた。住職はその赤子を育てる。男児が三才になった頃、母と名乗る女が寺に来て、男児の母と名乗る。女の語る経緯を聞いた住職は話を信じて男児を女に託した。だが、その女は男児の母ではなかった。女は夫や自分の子供をすべて流行り病で失い、寄る辺ない身の上だった。か細い女の細腕で男児を育て上げて死んでいった。男児は女を実の母とは思わなかったが、それを口にすることすら無かった。

 

では何故?女は他人の子を苦労して育て上げたのか?また、男児はなぜ、赤の他人の女を母として慕ったのか?

 

人は孤独だ。寄る辺を求めたがるが、世間は冷たい。たとえ他人同士でも

心を通わせれば、それは親子である。血のつながりなどは関係ない。親子の関係は

昔から一世と決まっている。つまり、この世限りの関係である。

 

現代では、どうか?親子関係は医学的に証明できる世の中だし、夫婦関係も離婚が

頻繁に起きている。夫婦の関係は二世の契りと申します。来世でも夫婦となる堅い

絆なのです。にも拘らず、簡単に別れてしまう。残された子供の悲劇を考えずに

である。男親を失った子供の辛さ、寂しさは他人には判らない苦痛と世間の冷たい

眼差しに耐える苦しさ。これを思った事があるのか?離婚の際には?

 

辛抱と妥協こそが夫婦関係を支える柱だと思え。

 

 

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