ユートピアとは
現実には決して存在しない理想的な社会がユートピアである。
人々はユートピアを望みながらも決して、其の様な社会を構築
することはない。人の心は複雑で、しかも測りし得ない難物の
塊であるから、理想郷などは、概念としては、あり得るが、永遠に
その地にたどり着く事はない。これが人間社会というものの
正体である。
芥川龍之介の短編小説に、仙人と、しがないネズミを仕込んで見せる
大道芸でその日の日銭を稼ぐ男の物語がある。そのタイトルが仙人。
ネズミを仕込んで様々の芸を道端で披露し、見物人から僅かな銭を
貰って、その日の食い扶持を得るしがない男は、夜の雨に遭い、古びた
社に雨宿りをしたが、社の神への奉幣の古びた古紙が散乱するお堂の中に
乞食同然の老人が奉幣古紙の積み重なった中から顔を出してネズミ芸の男
と対面。世間話の中で、男は生活苦を切々と語るも、乞食老人はその話に
は一向に乗らず、顔を背ける。同輩のくせに、同情心もない老人に男は
反発するが、老人は、やがて男に向かった言って。お前さんは、要は
お金が欲しいのだろうて。ならば、わしが今、この古びた奉幣の山を
黄金の山に変えてやるから、思う存分に黄金を持って行けと言って
何やら呪文を唱えると、古い奉幣が見事に黄金の山となった。
男は、これで長者となったが、乞食老人は、次のように語った。
人生は苦、苦を持って人それを楽しむべし、人間には死がある、死するを以て
生きるを知る、死と苦を脱した者が仙人であるが、そこに待ちうけるのは
何か、それは只 無聊(ぶりょう=退屈)なりと。
凡人の死苦は仙人の暮らしにはとても及ばぬものと、人は思うだろうが?
実際は、その逆で、死ぬほどの退屈が仙人の稼業なのだから。仙人の暮らしは
凡人の死苦にはとても及ばない社会なのであると。
仙人は、わざと苦しい人の世界に降り立って苦労をしょい込んで、楽しんでいた。
人は苦しいと言ってなげやりになってもユートピアは来ない。