熊野古道 大阪府山中渓~和歌山市布施屋 ②
公家から大衆へと変化する熊野参拝は神仏混合の信仰時代の象徴である。
神が仏となって人々の前に現れれて衆生を教化する、当時の人々は西方極楽
世界を夢みていたが、その裏には現世の悲惨さがあった。
江戸時代にはお伊勢参りが一生の内の最大の目的であった。それと同じく
伊勢を起点に熊野に詣でる伊勢路も開かれたが、険路と長い道程で、あまり
普及しなかったが、現在でもその一部が残っている。
熊野詣での道は高野山を起点とするルートもあり果無越えのルートは今も人気の
ルートである。三大ルートをすべて歩いた人はいるのか?
山岳ルートは登山の要素も備える厳しいルートを含むのである。
246mの雄ノ山
急カーブの国道
地蔵が安置されている
道端で、出会ったリュウキンカが満開、雑草と化したリュウキンカ
京奈和道のバイパスが完成したが、地震が起きたら?どうなるか??
国道を離れて生活道路へと進む
高積山が見える、あの山の麓までこれから歩くのである
次回に続く