芥川龍之介の短編小説 往生絵巻

極悪な武士が、ある法師から阿弥陀仏と親しくなれば極楽へ行けると、説法を

聞いたので、その法師に、阿弥陀仏はどこに行けば会えるのか?と問い質す。

法師は中々答えないので、武士は法師を締め上げて白状させると、ならば

西に行きなされと、答える。

 

そして、極悪武士は、次の様な文句を絶えず大声で叫びながら往来を

彷徨っている。‘‘阿弥陀仏よ おおい、おおい‘‘

 

それを聞いた通行人は、彼を狂人と思って相手にしないか、いや途方もない

尊い法師だと、思って敬う人もいた、子供等は馬鹿なオジサンと蔑んだ。

そして、西に歩いたら海辺に来た。そこで船に乗って西に行きたいが船は

見えないので松の木に登って船を呼んでばかりしているうちに、死んでしまった。

 

ある人がその亡骸を松の木に放置すれば、カラスに食いちぎられるので、

かわいそうに思い、木からおろして見たら、口の中にハスの花が咲いていた。

極悪武士は極楽が、この世の何処かにあると思い込んで、しきりに阿弥陀仏

を探したが、遂に見つからなかった。それもそのはず、死んだ後の世界にしか

阿弥陀様はいない、という理屈を知らなかったからだ。

お終い

 

南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に帰依します、との意味。アーメンも同じ様に

キリストに帰依します、との意味。アーメン阿弥陀仏でも同じだ。

 

阿弥陀仏に帰依すれば極楽に行けるから、人々は競って南無阿弥陀仏と、

と唱える。しかし、其の為には死んでからでないと極楽には往けません

との条件が付く。現世で拝んでも現世が極楽にはなりません。現世極楽を望む

ためには阿弥陀の様な現世に生きる偉い人を崇めるしかありません。

例えば習近平の様な男を崇めよと中国共産党が言っているが如くである。

人は所詮、現世利益にしか興味はない。来世は誰も知らないから、まやかしで

来世の極楽を平気で吹聴するのである。

地獄、極楽もすべて、この世にあるが、人はそれに気が付かないだけ。その極楽は

人様々の極楽であるし、それは、その人が極楽と感じる所が極楽であって、他人には

必ずしも極楽だとは保証し得ない世界かも知れない。

f:id:akooyot:20210415141817j:plain