財と人
財を貯め込むとは、自分の安寧を願う為、つまり一時の安寧の為の防波堤を築く事
である。人の命の先は誰も知る由もないにもかかわらず、人は一時の安寧の為
苦心して防波堤としての財をため込む。防波堤は常に修復し、手入れをせねば
ならない。崩す者が常に現れて財宝という防波堤を壊して盗み去る。
此処に、財を貯めた人の葛藤が生まれてくる。憎み、怒りそして終わりなき気苦労。
世の流れにさかわらずに流されて生きる者には、何の葛藤もない。貧乏人には
守るべき財宝も防波堤もない。命も時の流れに従って失われるに過ぎない。
人を見る時、その人の長所をしっかりと認め、欠点には目をつぶる。白黒は誰しもが
持つものであるから、黒い部分をあげつらい白い部分を見ないのは、片手落ちである。
人との交わりで大事なことは、霧に包まれた中を長い間、歩けば衣服が濡れる様に
優れた人と長く交われば、自然と優れた人物の様に自分が変っていることに気付く。
竹に石が当たれば、すごい音色が竹林に響き渡る。春になって木々に花が咲き、
路傍には無数の野草の花が咲き乱れる。これらは春という季節がないと、花ばなは
咲かないとう自然の摂理に沿っているからである。
竹に当たる石や春という季節がもしも無いならば、起きえない事である。これを見て
人は互いに切磋琢磨してこそ、互いを高め合う事が出来るのだと、知るべきである。
独りで籠っていても竹を打つ石は来ないし、花を咲かす春も来ない。