本当に生きるとは?

世の中には様々な考えで人生を生きる人達がいます。多くの人はこの世の中での

栄達を得んが為に人生を切り開いている。其の為には手段を選ばずがむしゃらに

突き進んでゆきます。栄達とは詰まる所、自身の身や心に対してより多くの財や

名誉を得んがためである。其の為に必死になって突き進んでいく。宝の山を手にする

まで続けるのである。

 

他方では、わが道には栄達よりは心の平穏を求め彷徨いながも生きている人もいる。

この様な人達は、宝の山を見ても立ち止まらなく、無関心に通り過ぎてゆく。

彼等の心の平穏への旅に終点はない。あるのはその過程だけである。仏法的に言えば

修業が先で結果を望まない姿勢である。

 

どちらが良いか、悪いかはその人の価値観による。栄達の中身は財と社会的な名誉であ

る。しかし、それらは何れも時間の経過に伴いわが身から去って行く。

他方、心の平穏への修行には終着駅はない、あるとすれば、それはわが身が死ぬ時で

ある。彼等には財も名誉も心の平穏への旅には不要な重荷となるからである。

 

心程、不安定なものはない。人の心は移ろいやすく、瞬時にして逆転することも珍しく

ない。その弊害を何とかして食い止めんが為に、人は一生を掛けてその難問と対峙して

ゆかねば、心の永遠の平穏を手にすることは出来ない。

 

人生の修行とは、まさしく上記の心の安寧への旅を続けることにある。

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