維摩詰 維摩経 悟りとは永遠に求め得ぬもの?
人の心は高みに登って満足しても、それだけでは終われない。再び高みから落ちて
衆生世界へ戻って仏心を彼等に差し伸べる、これが往相還相と呼ばれるエレベーター
に乗っての循環路線を生きる定めである。あたかも輪廻の周回路を永遠に巡る様に。
悟ってもそれは一時の瞬間で、再び底辺に落ちて又悟りを求める、この繰り返しが
悟りというモノの本性なのだ。
衆生世界は元々は、固定された上にあるのではない、実体のない有の世界であるから
そこに悟りという絶対の法界を当てはめても無駄である。すくい取っても又湧いてくる
水源の様なものであるから、悟らせるための行為も永遠に続く。
これが人という種の永遠の難題であるが、これを放棄出来ないのも人たる種の本能の
なせる業である。
仏陀の教えは遠い昔から今日まで永遠に続いています。仏陀は覚者となったが、解脱
の教えは、永遠に続いていく。人の輪廻が永遠に続く如くに。