2021.02.21熊野古道 紀伊路パート2  紀伊宮原から湯浅町へ①

神仏への飽くなき願いが、熊野詣となって、中世では蟻の熊野詣と呼ばれる盛況

を博した。有田川を渡り対岸の糸我山に連なる糸我峠を越えて湯浅町に至るのが

今回のコース。今は有田地区は有名な紀伊国屋文左衛門の発祥の地で蜜柑栽培の

メッカ。この時期は蜜柑も収穫を終えてひっそりとしている。

 

信仰とは、すべてのモノをなげうって身を軽くしてから、神仏に祈願する。

捨ててこそ、これが平安期の空也上人のコンセプト。物を欲しがらず、蓄えず

捨てる事の意義、これが信仰の第一関門である。

鉢を愛せば餓鬼となり、衣を愛せば蛇となり、タケノコを愛し、花を愛して虫や蝶

になりーーーーー世間にはこんな事例が溢れています。

日本最古の稲荷神社 糸我神社

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中将姫伝説の寺院 得生寺は、この辺の古刹です

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得生寺から程近い所に聳える雲雀山には中将姫が継母の毒牙から逃れて隠棲したとされる遺跡が多くみられますので、古道歩きのルートを一部変更し、雲雀山から糸我峠へ向かう事にした。

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次回に続く